ごっつ三国から始める三国志歴史のお勉強(シナリオ1-2黄天の炎)

ごっつ三国 シナリオ1-2.黄天の炎

おとうぴー

こんにちは!ごっつファーザーのおとうぴー

おとうぴー

ごっつ三国ゲームのシナリオを通して、三国志の歴史を勉強していきます。お付き合いいただける方はよろしくです!

黄天の炎

ストーリー(オリジナル関西弁編)

劉備

青州城が陥落の危機に瀕しとる。行軍速度を上げるで!

後漢末期、青州は黄巾賊が大流行しており、青州の黄巾賊が中国北部を大いに荒らし、兗州に攻め込み192年に兗州刺史の劉岱を殺したが、兗州刺史となった曹操に黄巾賊の兵30万人、非戦闘員100万人が降伏している。曹操は、その中から精鋭を選んで自軍に編入し、「青州兵」と名付けた。その後、袁紹の子の袁譚が田楷や孔融との争いに勝利し、青州を支配したが、曹操に敗れて青州を奪われた。その後も青州は賊の巣窟となり治安が悪かったが、曹操の部将の臧覇・孫観・夏侯淵・呂虔・牽招らが賊を討伐し、青州刺史となった王淩が優れた政治を行い、ようやく治安が回復した。

引用:Wikipedia

【張梁戦 開始】

我こそ、人公将軍の張梁様じゃ!お前ら、どついたれ!

張梁

張 梁(ちょう りょう、? – 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角・張宝。人公将軍と自称した。

兄達と共に黄巾の乱を起こし、反乱軍を指揮して朝廷の討伐軍を苦しめた。張角の病死後も軍を引き継いで討伐軍と戦ったが、張角が病死したことで勢いづいた討伐軍を抑えきれず、184年10月、広宗にて皇甫嵩に敗れ戦死した。

引用:Wikipedia

【張梁 いてもうた】

ケッ!なかなかやるやないか。せやけど、わしの兄やんは甘ないで!

張梁

【張宝戦 開始】

みんな私んことを地公将軍っちゅう。弟にいっぺん勝ったぐらいでうぬぼれんなよ!

張宝

張 宝(ちょう ほう、? – 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角。弟は張梁。地公将軍と自称した。

兄が黄巾の乱を起こすと弟と共にこれを補佐した。兄は既に反乱を起こしたときに病の身であったため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。
しかし朝廷の討伐軍が態勢を整えると、黄巾軍は敗北し広宗に籠城した。また籠城中に兄が病死し、弟も戦死したという。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる討伐軍に大敗し、首を京観として城南の塚に埋められた。

小説『三国志演義』では張宝は妖術を使うことを得意とし、その妖術をもって官軍を何度も撃破しているが、朱儁の策で術を破られ敗走し、部下の厳政に殺されている。吉川英治の小説では、劉備軍の奇襲を受け同士討ちを始めたところを、劉備に弓で射殺されている。

引用:Wikipedia

劉備

ふっ…お前はもう、死んどる。

参考 ケンシロウwikipedia

【張宝 いてもうた】

作戦上、撤退や!今に見とれ!

張宝

【劉備 決め台詞】

劉備

逃げ出した先に楽園なんかあるかい。

【チーン】

ストーリー(標準語変換編)

劉備

青州城が陥落の危機に瀕している。行軍速度を上げる

【張梁戦 開始】

我こそ、人公将軍の張梁様ですよ!お前たち倒しておしまい

張梁

【張梁 撃破

ケッ!なかなかやるではないか。ですが、わしの兄様は甘くないですよ

張梁

【張宝戦 開始】

みんな私ことを地公将軍と呼びます。弟に一度勝ったぐらいでうぬぼれてはいけません

張宝

劉備

ふっ…お前はもう、死んでいる

【張宝 撃破

作戦上、撤退です!今に見ときなさい

張宝

【劉備 決め台詞】

劉備

逃げ出した先に楽園なんかあるわけないでしょう

閉幕

今回の出演者データはこちらごっつ三国 武将データ 劉備【ごっつ三国 武将データ】劉備(蜀・君主・光)ごっつ三国 武将データ 張梁【ごっつ三国 武将データ】張梁(異民族・猛将・雷)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です