おとうぴー
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ごっつ三国ゲームのシナリオを通して、三国志の歴史を勉強していきます。お付き合いいただける方はよろしくです!
目次
黄天の炎
ストーリー(オリジナル関西弁編)
劉備
青州城が陥落の危機に瀕しとる。行軍速度を上げるで!
後漢末期、青州は黄巾賊が大流行しており、青州の黄巾賊が中国北部を大いに荒らし、兗州に攻め込み192年に兗州刺史の劉岱を殺したが、兗州刺史となった曹操に黄巾賊の兵30万人、非戦闘員100万人が降伏している。曹操は、その中から精鋭を選んで自軍に編入し、「青州兵」と名付けた。その後、袁紹の子の袁譚が田楷や孔融との争いに勝利し、青州を支配したが、曹操に敗れて青州を奪われた。その後も青州は賊の巣窟となり治安が悪かったが、曹操の部将の臧覇・孫観・夏侯淵・呂虔・牽招らが賊を討伐し、青州刺史となった王淩が優れた政治を行い、ようやく治安が回復した。
【張梁戦 開始】
我こそ、人公将軍の張梁様じゃ!お前ら、どついたれ!
張梁
張 梁(ちょう りょう、? – 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角・張宝。人公将軍と自称した。
兄達と共に黄巾の乱を起こし、反乱軍を指揮して朝廷の討伐軍を苦しめた。張角の病死後も軍を引き継いで討伐軍と戦ったが、張角が病死したことで勢いづいた討伐軍を抑えきれず、184年10月、広宗にて皇甫嵩に敗れ戦死した。
【張梁 いてもうた】
ケッ!なかなかやるやないか。せやけど、わしの兄やんは甘ないで!
張梁
【張宝戦 開始】
みんな私んことを地公将軍っちゅう。弟にいっぺん勝ったぐらいでうぬぼれんなよ!
張宝
張 宝(ちょう ほう、? – 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角。弟は張梁。地公将軍と自称した。
兄が黄巾の乱を起こすと弟と共にこれを補佐した。兄は既に反乱を起こしたときに病の身であったため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。
しかし朝廷の討伐軍が態勢を整えると、黄巾軍は敗北し広宗に籠城した。また籠城中に兄が病死し、弟も戦死したという。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる討伐軍に大敗し、首を京観として城南の塚に埋められた。小説『三国志演義』では張宝は妖術を使うことを得意とし、その妖術をもって官軍を何度も撃破しているが、朱儁の策で術を破られ敗走し、部下の厳政に殺されている。吉川英治の小説では、劉備軍の奇襲を受け同士討ちを始めたところを、劉備に弓で射殺されている。
劉備
ふっ…お前はもう、死んどる。
【張宝 いてもうた】
作戦上、撤退や!今に見とれ!
張宝
【劉備 決め台詞】
劉備
逃げ出した先に楽園なんかあるかい。
【チーン】
ストーリー(標準語変換編)
劉備
青州城が陥落の危機に瀕している。行軍速度を上げるよ!
【張梁戦 開始】
我こそ、人公将軍の張梁様ですよ!お前たち、倒しておしまい!
張梁
【張梁 撃破】
ケッ!なかなかやるではないか。ですが、わしの兄様は甘くないですよ!
張梁
【張宝戦 開始】
みんな私のことを地公将軍と呼びます。弟に一度勝ったぐらいでうぬぼれてはいけません!
張宝
劉備
ふっ…お前はもう、死んでいる。
【張宝 撃破】
作戦上、撤退です!今に見ときなさい!
張宝
【劉備 決め台詞】
劉備
逃げ出した先に楽園なんかあるわけないでしょう。
【閉幕】
今回の出演者データはこちら【ごっつ三国 武将データ】劉備(蜀・君主・光)【ごっつ三国 武将データ】張梁(異民族・猛将・雷)